少年漫画雑誌の私的な歴史考察 1

少年誌の創刊

順番待ちで無理矢理に体をねじ込み先頭になろうとする小学生のような争いの結果、1959年に、初の週刊少年誌の「サンデー」と「マガジン」が同時発売されました。

当初は、週刊新潮などの週刊誌の少年版として企画されたので、少年向け総合誌としての色が強く、漫画はその一部(総ページの半分くらい)でしかありませんでした。今で言うところの「てれびくん」みたいな感じが近いのだと思います。要するに、あくまで漫画は添え物的に捉えられていたということです。しかし、次第に漫画を読むことが当たり前になっていくのと平行して、少年誌から漫画以外のコーナーは消えていき、反対に漫画の連載作品がどんどん増えて現在の形になりました。

余談ですが、現在売り上げで苦戦している漫画雑誌ですが、当初に立ち返り、漫画以外のコーナーも充実させて、総合誌という方向でいくのはどうでしょうか。例えば、池上さんのニュース解説みたいなコーナーなど、教養、実用的なコーナーがある方が、現在のニーズには合っていると思います。
時代の変化によって総合誌から漫画誌へと移行した少年誌も、その功績によって漫画がすっかり浸透した今、そしてスマホなどで時代が変化している今、新たな変化が必要な時が来ているのだと思います。

1960年代前半(サンデーの時代)

同時創刊した「サンデー」と「マガジン」ですが、売り上げでは「サンデー」の勝利でした。
理由は簡単で、企画自体は先んじていた「サンデー」が手塚治虫の連載(『スリル博士』)を獲得できたからです。
少年向けの漫画雑誌に、マンガの神様・手塚先生の作品は必須項目ですから。ティーン女子向け雑誌にジャニーズタレントが必要なのと一緒です。

更には、手塚治虫を釣った針の先にはトキワ荘という大物も釣れていました。石森章太郎(『トンカツちゃん』)、藤子不二雄(『海の王子』)、赤塚不二夫(『おそ松くん』)などトキワ荘の住人たちがこぞって「サンデー」で連載を持ちました。今から考えると、当時の「サンデー」は贅沢なメンバーになっており、売り上げが上がるのも当然といえるでしょう。伝説が、1つの雑誌として形になっているといってもいいくらいなのですから。

1960年代後半(マガジンの時代)

そのままではいけない「マガジン」も、もちろん攻勢に出ます。
その一つともいえるのが分業制です。絵を描く人と話を作る人を分けて、それぞれに充実したものを作っていくという方針です。これは、それまで一部の天才(話が作れて絵もかける人)が担っていた漫画という分野の裾野を広げたという意味で大きい転機だと思います。もっといえば、漫画というものが、天才の作り出す個人的な作品から、みんなで作り出す大衆向けの製品へと変わっていったということでもあるといえます。(もちろんそのあたりは、はっきりと分かれているわけではないですが、傾向としてそうなったということです)
そして、この分業制によって、写実的な細かい絵のせいで遅筆な漫画家(ちばてつや(『ちかいの魔球』)、川崎のぼる(『巨人の星』)など)でも週刊連載を可能にし、トキワ荘的な、いわゆる漫画的な絵とはちがう写実的な絵の人気作家を獲得します。
そして、このころ「W3事件」が起きたことで「マガジン」も腹を決めたという部分があったのかもしれませんが、手塚治虫的なデフォルメ漫画から離れて、いわゆる劇画路線へ突っ走り始めます。
更には、その分業制、劇画路線の体現者とも言える梶原一騎(『チャンピオン太』)という天才が現れたのも大きかったと思います。この劇画路線は大当たりして、1960年代後半から1970年代前半は「マガジン」の時代でした。社会現象にもなったほどです。
この大ヒットの要因の1つは、読者層の高年齢化です。小中学生向けに企画された少年誌ですが、創刊されたころに読んでいた読者は、1960年後半には高校生や大学生になっていました。おそらく編集部の当初の考えでは、高校生くらいになったら漫画は卒業してしまうが、新小学生が新たな読者になるという循環を予想していたと思います。しかし実際は、高校生や大学生になっても漫画を卒業しませんでした。後に、世界のオタク文化のトップに立つ日本の幼稚性は、この頃から既に発揮されていました。というより、これはもう日本人の根本的な性分なのかもしれません。
で、さすがに大学生が小学生と同じ作品を楽しめるわけがなく、「少年サンデー」であり続けようとした「サンデー」よりも「マガジン」の劇画路線の方がマッチしたということです。実際にマガジン編集部では、「少年」の文言をとるということも検討されていたということです。

ともあれ、当初の編集部の試みから少しずつズレながらも、「サンデー」と「マガジン」は、少年だけでなく大人も巻き込み、雑誌の中心的存在になっていき、売り上げもどんどん伸ばしていきました。
そうなれば、他社が黙ってみているわけがありません。
「ジャンプ」と「チャンピオン」が創刊されます。

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